矢吹フサコのMy Mission
「Create for Comfort.」

私は株式会社枠から、その人の心地よさのための「働き方」をつくります。

会社とは、法人とは、なんでしょうか。

会社は、社員や人でしょうか。しかし人が入れ替わっても、会社は存在し続けます。
会社は、オフィスや場所でしょうか。しかしオフィスは引っ越したり、今ではバーチャルオフィスも当たり前になっています。
会社は、株や資産でしょうか。…そうとも言えるかもしれませんが、それよりも人の命の割合が多いように思います。

人が意志をもって生み出したものであり、増えたり減ったり、成長したり衰退したり、それ自体が人の人生・生活を支えるもの。
この不思議な「会社」という概念を、私はまだ捉えきれないでいます。

その上、現代では、この「会社」という人の意思によって生まれた概念が、人の人生を大きく左右する力を持っています。
人の生活を全て会社に捧げさせることができる。関わる人の人生の選択を握ることができる。働かせすぎることもできるし、暇で暇で仕方がなくすることもできる。

おそらく人が会社に入る時には、自分の人生や日々の生活の中に安心感を得たり、充実感や達成感を求めて入るのだと思います。
しかしいつの間にか、自分の日々の時間、人生の大きなレールが、自分の意思を離れて会社によって定められてしまっている。それに息苦しくなったり溺れそうになっても、誰に助けを求めればいいかわからない。
そんな「働く人」も多いのではないでしょうか。

私はこの株式会社枠という「会社」を使って、そのような「会社のための人」ではなく「人のための会社」のあり方を探求します。
枠で働く人・枠に関わる人のための働き方、システム、オフィス、人材育成、知見共有、外部連携のあり方を模索します。

それはものによっては使い古された凡庸なものだったり、逆に新しく奇妙で理解されづらいものになるかもしれません。
しかし、奇を衒って「新しいことのため」に新しいことをするのではなく、また会社が会社としてあるためにするのではなく、その人のために新しいことを知り、調べ、考案し、試し、継続し、展開します。

枠という装置を使って、また自分と仲間たちの人生の時間を借りて、人が豊かに生きるということはなんなのかを探求していきます。

おそらく答えに辿り着くことはないでしょう。この先の道で出会う「正解かと思われるもの」は常に「仮説」でしかなく、常に探求は続くでしょう。
答えを決めてしまわずに、問い続けること、悩み続けること、探求し続けることが「枠」のあるべき姿だと私は考えます。

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